ホワイトキャップを通じて、「持っているから使う」という思い込みを見直す

数十年前、学生の頃に購入したベネトンのホワイトキャップ。
シンプルなデザインで、特別高価なものではないけれど、ずっと私の手元にあり続けてきた帽子です。白くて爽やか、ロゴも小さめで主張がないので、流行にも左右されず「何年経っても使える」と思っていました。
実際、何年かに一度、自分の中で「ホワイトキャップブーム」がやってくる。
そんな時にちょうどいいと思って、この帽子を使っていた。
長く使えるものを大事にしている自分に少し満足していたのかもしれません。
でも、今回の「捨てる100日」を通して、ふと立ち止まって考えてみました。
「私は本当にホワイトキャップを被りたいのかな?」
そう自問してみた時、正直少し戸惑いました。
というのも、数年前の“ホワイトキャップブーム”の時でさえ、実はあまり似合ってないような気がしていたし、周囲からもやんわりと「白はちょっと浮くかもね」と言われたこともありました。
じゃあ、なぜ被っていたんだろう?
それはたぶん、「ホワイトキャップを持っているから」「せっかくあるんだから、使わないともったいない」という思いが根底にあったのだと思います。
つまり私は、「使いたい」ではなく「使わなきゃ」でこの帽子を手放せずにいたのです。
気づけば、持っていること自体が“マイブーム”を呼んでいただけで、心から「これが好き!」という気持ちではなかったのかもしれない。
何かを持ち続けることで、行動まで縛られていたのだと、あらためて感じました。
もちろん、長く使えるもの・好きなものを大事にするのは素敵なこと。でも、それが“執着”に変わってしまったら、本来の心地よさは消えてしまいますね。
長い間ありがとう。今までお世話になったこのキャップに感謝して、お別れすることにしました。
「持っているから使う」ではなく、「本当に使いたいかどうか」でモノと向き合う。そんな気づきをくれた40日目でした。